資料2


   阪神淡路大震災  ある女の子の話

  一月二十三日、私は二回目の出動をした。地震でなくなった人の遺体のおいてある体育館はたくさんの遺体とそれにつきそう残された家族の人たちであふれていた。そんな中で、一人の女の子に私の目はくぎ付けになった。その女の子は、ひざの前においたやけこげたなべにじっと見入っていた。泣くでもなく悲しむでもなく身動きもせず、ただじっと見入っていた。私は、その女の子にひかれるように近寄っていった。なべの中には、小さな骨がおかれていた。
 「どうしたの」思わずきいた私の一言がその女の子を泣かせてしまった。どっとあふれ出した涙をぬぐおうともせず、一生懸命に私の目を見てとぎれとぎれに話し始めた。なべの中の骨は、その女の子がひろい集めたお母さんの骨だった。
 その日、女の子はお母さん抱かれて一階の部屋でいっしょにねむっていた。でも地震がきた。何が起こったのかわからないまま、気がついた時はお母さんとともにたおれてしまった家の下敷きになっていた。身動きはできなかった。それでも女の子は少しずつ体をずらした。何時間もかけて脱出した。家の前に立って、何がなんだかわからないまま、どの家も倒れてしまっているのを見た。すると火事が近くに迫ってきた。たくさんの人が何かさけびながら走りまわっているのを見た。しばらくしてお母さんが家の中に取り残されていることに気がついた。
「お母さんをたすけて。たすけて。お願い。」
 走りまわっている大人たちにかたっぱしからしがみつき、声を限りに叫びつづけた。でもその叫び声は聞こえなかった。だれにもその声はとどかなかった。迫ってくる火事にお母さんをたすけられるのは自分しかいないとかなしい決断を女の子はした。お母さんを呼びつづけ、一生懸命に倒れた家具をどけ、かわらをほうりなげて、一歩一歩お母さんに近づいていった。やっとの思いで、お母さんの手をさがしあてた。でも姿は見えなかった。お母さんの手をみつけたとたん、女の子はその手をにぎりしめた。その時、女の子は手が血でどろどろになっているのに気がついた。
「お母さん、お母さん、お母さん。」
 手をにぎりしめ、泣きながら叫びつづけることしか女の子にはできなかった。
 火事は間近にせまっていた。火事の音が聞こえ、まわりがだんだんあつくなってきた。お母さんに一生懸命話しかけた。お母さんは小さな声で女の子に返事をすることしかできなかった。
「お母さん、お母さん。」
と叫びつづける女の子に、お母さんが女の子の名前を呼ぶ声が少しだけ聞こえた。
「ありがとう。もうにげなさい。」
お母さんは言って、女の子の手をはなした。あつかった。こわかった。女の子はしかたなく夢中で逃げた。すぐにお母さんを下敷きにしたまま家は燃えてしまった。燃えてしまう自分の家を女の子はいつまでもいつまでも立って、みつづけていた。声もでなかった。涙もでなかった。
 次の日、何をしたかどこにいたか覚えていない。
 そしてまた次の日、女の子はお母さんをさがしもとめ、そしてみつけだした。女の子は一人で見つけだしたお母さんをなべに入れて、今も守り続けているのだった。


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