第1時  第2時  第3時  評論文


        「春のうた」を学習して
                        
 「春のうた」という詩を学習した。話し合いを何度もして、いろいろなことがわかった。
 
 一 話者はだれか
 この問題はみんながクイズをつくったときに香奈恵さんがだしだ問題である。この詩の話者はだれなのか。クラスでは次の意見がだされた。
 Aかえる  Bカエル  C女の子  Eひと  D家
 私は、ひらがなのかえるだと考える。なぜか。理由は三つある。
 一つ目は、文に書いてあること以外は理由にならないこと。
 二つ目は、「かえるは冬のあいだは土の中にいて春になると地上に出てきます。そのはじめての日のうた。」と書いてあるからだ。
 三つ目は、「ケルルンクック」である。この言葉は、かえるの言葉である。以上のことから話者は、かえるだといえる。
 ほかの意見に対して反論する。
 まず「カエル」だ。詩の中には、「かえる」とひらがなで書いてある。カナカナの「カエル」は、どこにも出てこない。だから「カエル」は話者ではない。
 次に「女の子」だ。詩の中のどこを見ても、「女の子」というしょうことなる言葉がない。よって、この意見はおかしい。
 その次の「ひと」もしょうこがないので問題外である。
 最後に、「家」である。話し合いでも問題になったところだ。しかし家が「まぶしい」と感じるだろうか。ふつうは感じないはずだ。それに「ケルルンクック」はかえるの声と考える方が自然である。
 以上のことから、この詩の話者は、ひらがなの「かえる」ということができる。
 
 二 かえるがはじめに見たものは何か
 かえるがはじめに見たものは何か話し合った。出された考えは三つである。
 A太陽の光  Bみず  Cいぬのふぐり  
 わたしは「いぬのふぐり」と考える。なぜか。理由が三つある。
 一つ目は、いぬのふぐりがさいているのがわかるには、しっかり目をあけなきゃわからないからである。
 二つ目は、くもがうごいてくることをわかるには目をあけなきゃいけない。
 三つ目は、大きなくもというのがわかるには、目をあけなきゃいけない。
 なぜほかの A太陽の光 や Bみず に反対かというとまずはAの太陽の光だ。なぜか。太陽の光は目をつぶっていてもだいじょうぶだし、「ほっ うれしいな」は心のことだから。
 Bのみずに反対の理由は、「みずはつるつる」は手でわかるし、「かずはそよそよ」ははだでかんじられるからだし、「ああいいにおい」は、はなでわかるから私はCのいぬのふぐりだ思う。
 
 三 この学習をして
 私は、「春のうた」を学習していろいろなことがわかった。話し合いでは、すこししか発表できなかったから、今度はがんばる。


        「春のうた」を学習して
                        
 四年生になってはじめに「春のうた」という詩を学習した。話し合いをたくさんして、わかったことがたくさんある。
 
 一 話者はだれか
 この詩の話者はだれなのか。クラスの中でこんな意見がでた。
 Aかえる  Bカエル  C女の子  Eひと  D家
 ぼくは、かえるだと思う。でも理由は一つしかない。その理由は、詩の中に「ケルルンクック」という言葉が出てきたからだ。そのような言葉を言うのは、かえるしかいないと思ったからだ。
 さて、次はBのカエルだけど、ぼくはちがうと思う。その理由は二つある。一つ目は、詩の中には「かえる」という文字は出てくるけど、「カエル」という文字は出てこないからだ。二つ目は、しょうこがない。それに先生がこんなことを言っていた。
「思っただけはしょうこにならない」と。
 次に、ぼくが反論するのが、「ひと」と「女の子」である。理由はただ一つ。B同様、しょうこがない。それどころか、「ひと」「女の子」という文字さえもない。ぼくは、これは絶対にちがうと思う。
 最後は「家」である。ぼくは最初「家」だと思った。が、考えてみればどこにもしょうこがない。だからこれはちがう。
 
 でもまだ終わっちゃいない。まだ問題が一こ残っている。それは、かえるはさいしょに見たのは何かだ。
 ぼくはいぬのふぐりだと思う。なぜかというと、いぬのふぐりは目をあけないと確かめられないから。
 これで「春のうた」は終わった。思ったより長い勉強だったなと思った。
 
 
 
        「春のうた」を学習して
                        
 「春のうた」という詩を学習した。話し合いを何度もして言葉にしたしみをもった。それに問題もいくつかした。それはおぼえている。
  話者はだれか
 この詩の話者はだれなのか。クラスでは次の意見がだされた。
 Aかえる  Bカエル  C女の子  Eひと  D家
 私は「かえる」だと考える。なぜか。理由は、二つある。一つめは「かえる冬の間は」というところと「かえるになったつもりで読みましょう」のところだ。ところで、さっきのあと4つのしょうこの話のことだ。ひらがなのかえるとカタカナのカエルでは大ちがいだ。書き順もちがう、字の見た目でもちがう。カタカナはカクカクしてるけどひらがなは、あんまりカクカクしていないからだ。Cの女の子とDのひとは、やっぱり詩の中に出ていないからだ。Eの家は、家があつさを感じるだろうか。家がケルンクックとなくだろうか。この四つのしょうこからどうみても、Aのひらがなしか考えられない。 そのほかにもこんな問題をした。
  A太陽の光  Bみず  Cいぬのふぐり  
 私はいぬのふぐりと考える。なぜか。Aの理由は、ふつう暗いところから出てきて、目をつぶったまま上を見ると、明るさが感じられる。そうさとうゆうたくんはいってくれた。さとうゆうたくんは、私のみかただ。
 そして、Bのみずだ。みずは、手ざわりで気持ちいいかわかる。そしてCのいぬのふぐりだ。これは、手ざわりでも、明るさでも感じられない。だから、かえるはやっとこの時点で、目をあけたと思う。でも、どれもみんなせいかいはない。これまでの問題は、っすべて思ったことを表している。でも一番最初の問題も答えはあるだろう。
 そして最後の問題。これだけははっきりと答えがある。大きなくもが動いていくはAがかえるの左上。Bがかえるのまっすぐ上。Cがかえるの右上。やっぱりAが左上なんだから「動いてくる」。Bが真上だから、「動いていく」。Cがかえるの右上だから「動いていった」だから答えは、Aの「動いてくる」である。やっぱりその問題を聞いたときみんなAだった。
 こうして子どもたちは、どんどん話し合って、きょうりょくしあって、そしてどりょくして、言葉に親しみをもって、いくだろう。
 
 
 
       「春のうた」を学習して
                        
  「春のうた」を学習した。話し合いを何回もした。まずさいしょは、
 
 一 話者はだれなのか
 クラスの中でいっぱい意見が出た。いろいろあった。
 Aかえる  Bカエル  C女の子  Eひと  D家
 わたしはかえるだと思う。理由は二つある。一つ目は、「かえるは冬のあいだは土の中に」と書いているから。二つ目は、「ケルルンクック」となくのは、たいていかえるしかいないから。
 ほかの意見は反対だ。なぜかというと、まずカエルだ。詩に中にはひらがなのかえるとかいてあるからだ。
 次は女の子だ。詩に中には、女の子のしょうこがない。
 次の「ひと」も証拠がどこにも書いていないから。だから女の子も人もおかしい。
 最後に家だ。家もしょうこがない。でも、話し合いの時にはこんなことがでた。「これは詩なんだから家がケルルンクックとなくこともありえる。」という意見がでた。
 でもこの詩の中には、家のしょうこがない。だから、今の時点では、かえるしか考えられない。だから、この詩の話者は、かえるということができる。最後に「かえるとかいてあるからこの詩の話者はかえるだとはんだんできる。」
 
 二 かえるがはじめにみたのは何か
A太陽の光  Bみず  Cいぬのふぐり  
 私はいぬのふぐりと考える。なぜか。さいしょはくらいところにいたんだから、目をつぶっても太陽の光はわかる。 
 みずは手でさわればつるつるとかんじられる。太陽の光もみずもわかる。
 でも、いぬのふぐりはあ目で見ない見られないから、いぬのふぐりと考える。
 
 三 この学習をして
 私は、この学習して手をあげる回数がふえた。まなんだこともある。文をしょうこにすれば、答えが出せるということだ。

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